速水春暁斎『絵本小夜時雨』より

亡夫の横笛

 元文のころ、信濃国の藤太夫という者が、妻を迎えて三年ばかりして、病にかかって死んだ。
 妻は貞潔な女で、それから三年目の秋にいたるも、片時も夫を忘れることなく、ただ嘆き悲しんで日を送っていた。

 ある夜のこと、はるか遠くから笛の音が聞こえてきた。
 夫の藤太夫は生前、横笛を好んでよく吹いたが、聞こえてくる笛の音は夫の吹く音によく似ていた。
 妻が耳を澄まして聞いているうちに、音はしだいしだいに近くなり、家の門前にいたって、
「ここを開けてくれ」
という夫の声がした。
 怪しく思って戸の隙間から覗き見ると、生きているときのままの姿で、夫が立っていた。
 恐怖で身が震い、声も出せずにいる妻に、夫は話しかけた。
「驚くのも無理はない。私のことをずいぶん恋しがっているのがかわいそうで、かりそめに姿を見せに来たのだ。怖がらなくていい。もう帰るから……」
 そう言ったかと思うと、体から煙が立って、すうっと消え失せてしまった。
あやしい古典文学 No.1855