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高力種信『金明録』第一部下巻より |
楠火事 |
天明四年正月二十七日、昼過ぎから雨が降った。 夕方六時ごろ、熱田神宮の大楠から火が出て、勤番の神官が水をかけてもなかなか消えず、やむをえず拍子木を打って方々へ知らせた。 町々からおびただしい数の人が、慌てて水を持って駆けつけた。神職は残らず浄衣にて神前に集まり、奉行所からも人夫を出して、楠を伐らせた。 その木は回廊の東にあり、枝が茂って神殿の上を覆うほどだから、東の方へ引き倒すつもりで、大勢が縄をかけて引いたが、大木だから容易には伐れず、根から裂けて南へ倒れた。その地響きで回廊が揺れたという。 木は、中が朽ちて大きな空洞になっており、燃えたのは空洞内部だけだった。根に近いあたりでは、外からは煙も見えなかったが、根が裂けたとき、裂け目から火煙が吹き散った。 十時から十二時ぐらいの間に、火は鎮まった。 大楠の空洞には、旅人姿の夫婦の乞食が隠れ住んでいた。火災で露顕して逃げ去ったが、鳴海で召し取られたとかで、この者たちが火をつけたのかと評判になった。 一説に、天災であろうともいい、伊勢神宮の神木もこの春に焼けたと聞いて、人々は大いに怪しんだ。 ともあれ、楠の火は鎮まり、熱田社内に別条はなかった。 |
あやしい古典文学 No.1859 |
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