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| 青木鷺水『諸国因果物語』巻之五「美僧ハ後生のさハりとなる事」より |
美僧の受難 |
| 鎌倉の建長寺のかたわらに、念性(ねんしょう)という修行僧がいた。生まれつき美形の僧で、学問も人にすぐれ、書にも秀でていたから、世間にもてはやされた。 気立ての優しい人柄だから、老いも若きも「念性、念性…」といってもてなした。ちょっとした供養のふるまいにも必ず呼び、衣類の洗濯なども人々が争って行い、この僧のためなら手間暇を惜しむ者はないという人気だった。それゆえ、ゆくゆくは相応の寺に世話して、自他の菩提を懇切に弔ってもらいたいと思う者も少なくなかった。 やがて地元の代官が世話をして、亀谷坂のあたりに草堂を建て、念性を住持に据えた。 近郷の百姓たちは自然にこの僧に懐き、わずか半年ばかりの間に落ち着いた優美な堂となった。時おりは、鎌倉を訪ねる旅客や貴人が馬を寄せるほどだった。 堂から遠くない粟船というところに、小左衛門後家という者がいた。六十を過ぎて七十に近い齢で、子は一人もなく、少しの田地を人に貸して暮らしを立てていた。来世の安楽を願う心から、明け暮れ寺参りに専心し、片時も仏道を忘れないという品行の正しさで、「この人が成仏できないなら、世に成仏する人などいない」などと噂に言われるほどだった。 小左衛門後家は、元禄十年の冬、腹を患って死んだ。 念性が頼まれて葬儀を行い、位牌などを草堂に据えた。毎日の仏飯、夜毎の読経などの勤めも、真面目な念性は怠ることがなかった。 ある夜、念性は逮夜法要に行くことがあって、遅くに草堂に帰った。 『まだ今日の勤めをしていないな』と思って、いつものように仏前に向かい、香を盛り添え、灯明の油をさすなどして、読経にかかろうとしたときのことだ。 小左衛門後家の位牌が、突然にょきにょきと手足を生やし、動き出した。 『これは、狐狸が我をたぶらかそうと、妖しみを為すのではないか』と心を静め、毅然として座っていると、位牌は仏壇から下りて、がばっと念性に取りつき、声を発した。 「悲しやのう。生きている間、齢をわきまえぬことゆえ人目を恥じ、一言も口に出さずに死んだが、その未練によって成仏叶わず迷うておるのじゃ。わたしが念性どのの庵を毎日訪れて、仏飯を手づから奉り、衣の洗濯からなにから心を込めて勤めたのを、いかがお思いか。口に出すのも恥ずかしながら、念性どのに人知れず恋したがゆえのこと。包み隠してきたその思いを、今この儚い姿ながらも、一度だけ枕を交わして遂げさせたまえ。それで浮世の妄執晴れて、年来の罪も少しは消滅するというものじゃ」 位牌の化け物に切々とかきくどかれて、念性の心は千々に乱れ、恐ろしさは言いようもない。振り切って逃げようとすると、足元の火桶からあまたの雀が飛び出て念性を取り巻き、つつき回った。 「わあ、助けて。おお、だれか…」 泣き叫ぶ大声に驚いて、近隣の者たちが駆けつけた。 取り乱す念性を引き据え、気付け薬などを与えて、やや落ち着いたところで問い聞くと、つい先ほど起こったことを語ったが、あまりに不思議なことで俄かには信じがたい。おそらく気疲れのせいで妖しい幻覚を見たのだろうと、薬など飲ませ、その夜は人々が見守って明かした。 朝まで何事もなかったので、みな安心して帰った。宵時になると、近所の人が『また心地が悪くなるかも』と心配して見舞いに来た。何事もないのを見て、また薬などすすめ、明日も様子を見に来るからなどと言って帰った。 それからニ三日過ぎて、ある朝、草堂の戸がいっこうに開かないことがあった。 「どうしたのだろう。法事に行かれた様子もないが…」 不審に思って窓から覗き、声をかけても応えない。戸は内から閉めてあって門口から入ることはできず、生垣をくぐって庭に入り、すだれの下から居間を覗くと、念性は喉首から血を流して、仏壇の間にのけぞって死んでいた。 これはどうしたことだと辺りを見れば、後家の位牌に血が付いて、その前には、食い切られた喉笛の肉が転がっていた。 |
| あやしい古典文学 No.1867 |
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