百井塘雨『笈埃随筆』巻十一「雷狩」より

雷狩り

 中国の雷州府という地方は、毎年夏に雷鳴夥しく、人家の庇の間にまで轟き起こって、日々止むことがない。ゆえに「雷」をもって地名とし、郡にも名づけたほどだ。
 秋になると自然に雷は静まりゆき、とともに地中に潜伏する獣がある。人々はそれを掘り取って食う。その形は猪の子のようだ、と。
 同様のことが日本にもあるという。
 場所は安房国の二村山とも、阿波国西南の由岐喜来(ゆききらい)ともされるが、思うに、「安房」は「阿波」の誤りであろう。安房は小国で、雷獣が棲むような山はない。いっぽう阿波の西南は、土佐に隣接して大変険阻の地であり、山々は奥深いから、雷獣の沙汰もないとはいえない。

 戸部良煕の『大島筆記』には、「中国福州は雷がはなはだしく鳴る土地だ。夏は雨さえ降れば鳴り、鳴れば必ず落雷する。総じて中国本土では、雷を『霊魂拍』と呼んで、俗間でたいそう恐れている。それゆえ、かりそめにも『雷に誓って…』などと誓言に立てることはしない」とある。
 『三河雀』という本には、「雷狩りをすると、鼬のような獣が多く獲れる」とある。下野国の人は、「毎年、雷狩りとして山中に入り、ここぞという場所で地面を掘ると、地中から煙のようなものが出る」と話した。
 思うに、雷の話は暖国に多い。雷獣がいるのも、中国の極南の地である。
 また、中国の小説には、竜が雷に撃たれて力を得る話が多く載っている。わが国においても、南の地方で毎年必ず、竜が熱を得て天に昇る。これらすべてに、相応の理由があるはずだ。

 土佐国では、海岸の村ごとに太鼓を多数貯えてある。それは夏、時として陸地上空に昇り来る竜への備えだ。
 竜がいったん村に至れば、建物を巻き上げ、民家を壊して、甚大な損害をもたらす。だから、その気配があるときは、みな家々から出て太鼓を連打し、大声で騒ぎ罵る。そうすると、竜がほかの方角へそれて、害を免れることがあるのだ。
 まったくそうかもしれない。
 筆者も九州で、竜巻というものを見た。人々は、竜巻が来ると知ると、屋根の上に鎌などを立て、声をそろえて叫んだものだ。

 伊藤長胤は言う。
「雷狩りは、理にかなったところがある。冬天において地下に伏した太陽の気が、春夏の間に地上に噴出する。その勢いは敵し難く、雷となり震となる。だが、いまだ地下に伏するときに大いに太鼓を打ち鳴らし、数十人が大声をあげて地を踏み騒がして誘うと、地中の気が少し洩れて、そのぶん力が緩む。そのため、春夏になっても一斉に勢いよく出てくることがない」と。
 まさに確論である。
あやしい古典文学 No.1871