人見蕉雨『黒甜瑣語』第四編巻之五「猟夫の重ねらい」より

蛇の精神

 山で狩をしていた侍が、雉と蛇が互いに相手を呑もうと睨み合ったまま動かないのに出くわした。侍は手もなく雉を撃ち、蛇は殺して道端に捨てた。
 その晩、侍は親しい友人三、四人を招き、雉をふるまおうと料理した。するとそこへ蛇が来て、雉の煮立つ鍋のあたりをうかがった。蛇は侍の目にだけまざまざと見えて、他の人には見えないらしい。なにか不気味で、快く客に出せない気がして、雉をふるまうのはやめた。
 客が帰って後、侍は『なあに、かまうものか』とばかり、自分ひとりで思う存分に雉を食って、そのまま寝た。
 夜半、腹をきつく絞められるような苦痛に目覚めた。暗闇の中で腹をさすってみると、皮と肉との間に蛇が巻きついているのが、手触りではっきり分かった。『これは奇怪…』と驚いて、家の者を起こし、灯をともして見たら、蛇の巻き絞めたところの皮が盛り上がり、その頭から尾までの形も明らかだった。
 そこで侍は、宵の客人たちを急ぎ呼んで、昼からの出来事を語り、
「なんとなく厭な予感がして、ふるまいを控えたのはよかったが、わが身はこの始末だ。しかし、むざむざこのものに命を取られるのは悔しい。今ここで腹背を切り開き、こやつを引きずり出そうと思う。もし死に至ったら、おのおのがたは後日、この怪事の証人になってほしい」
と言って、短刀を蛇の頭とおぼしいあたりから切り回した。
 やがて滝のように流れる血潮とともに蛇を引きずり出し、よたよたと滑り歩くのをそのまま殺して、とどめの刃を刺したという。
 蛇の精神が、ただ雉を呑もうとの一念で体を脱け出ていたため、体が殺された後も精神は残ったのである。

 蛇の精神については、別な話もある。
 ある医者の家で、竹縁のあたりにいろいろな薬種を出して風にさらしていたとき、向こうの藪の中から突然、慌てふためいた蛙が跳ねてきた。そのまま薬種を盛った笊に跳び込もうとして勢い足らず、笊ごと地面に落ちて、蛙は伏せった笊の中に籠められた。
 その後、大きな蛇が追ってきた。見ていた人々は、
「これは珍しい。蛙の道成寺だ」
などと笑いながら、蛇を捕らえて突き殺し、きっと蛙は喜ぶだろうと笊を取り除けてみれば、そこにまた別の蛇がいて、さっきの蛙を呑んだのか、腹が膨れていた。
 皆は大いに驚き、その蛇も突き殺したそうだ。
 このように、蛇には不可思議な力があって、一念を込めたとき精神が体を脱け出て、二つにも三つにもなることがあるらしい。
あやしい古典文学 No.1880