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中村満重『続向燈吐話』巻之三「松山の貍の事」より |
松山の猫また |
伊予松山の城主 松平讃岐守の家臣で、物頭役を勤めて三千石を給される人があった。 居宅は城外にあったが、「その奥座敷に妖怪あり」と、誰言うとなく近所でもっぱらの噂となった。 しかし、主人はその座敷に常に出入りしていたし、来客を迎えたときなどには人が大勢入ったけれども、いまだかつて怪しいことはなかった。 家内の者は、噂を耳にして調べてみたが特段の怪異はなく、ただ猫がたくさん集まって狂い遊ぶだけだったから、「世間は根も葉もないことを言うよ」と、かえって噂する者をそしり笑った。 ところがある夜、奥方の用事で座敷に行った腰元が、大勢の声が向かいの寺の名を呼び、呼ばれて「おう」と歩み出る物音がするのを聞いた。障子の隙間から覗き見ると、主人が手飼いにして可愛がっている猫で、幾年を経たとも知れぬ背中の禿げたのが一段高い座に坐って、近隣の猫どもの名をいちいち呼んで身近に寄らせていた。寺の名で呼ばれたのは、そこの住職の飼い猫だった。 腰元は胆をつぶし、慌てて逃げ帰って、奥方に見たことを語った。 奥方は主人に話し、 「妖猫をそのままにしておけば、いかなる悪事を為すか知れません。今のうちに始末なさいませ」 と勧めた。主人も、日ごろ可愛がってきた心も失せて、「恐ろしいことだ。打ち殺して捨ててしまおう」と思った。 そこで四人の若党を呼び、段取りを言い含めて用意を命じた。その上で主人は、猫に聞こえるように大声で言った。 「奥座敷への人の出入りを固く禁ずる。今宵は特別な勤番で登城するから、しっかり留守番せよ」 と言って、夕方から遊興に出かけた。 夜が更けたころ、主人は密かに立ち帰った。 かの座敷は、一方は壁、一方は雨戸で、他の二方は障子が閉め切られていたが、少し穴をあけて覗いてみた。 思ったとおり、我が家の老猫が座上にあり、その下や左右に猫四五十匹が居並んで、上座の猫を敬い、家来のごとく仕えている様子だった。 しばらく見ていると、老猫が座敷の真ん中に歩み出た。背をたわめ、四足を寄せ揃え、はっと跳び上がると、猫の背が天井の板にぴたっと張りつき、数呼吸おいて下に降りた。 老猫が座に戻ると、残りの猫どもが我も我もと進み出た。それぞれ跳び上がったが、わずかに天井に届かず落ちるものあり、四五尺跳んだだけで落ちるものありで、老猫以外に背が天井に届く猫はなかった。 これはすなわち、老猫を師範として、若い猫が技を学んでいるものらしい。ここまで見届けて、主人は声を発した。 「よし、今だ!」 主人、若党四人、中間八人の計十三人が、槍・薙刀・太刀、熊手、鳶口などの武器を手に、喚き声を上げて座敷に駆け入ると、力まかせに突きまくり、斬りまわった。 ここの柱、あちらの戸障子と駆け登る猫どもを追い落とし、追い回すなか、老猫は飛鳥のごとく走って、たちまち僅かの隙間から逃げ去った。逃げ惑っていた残りの猫どもも、次々と板戸の節穴や障子の穴をくぐって逃げ、結局仕留めたのは四五十匹のうち、ようよう八匹だった。 これより後、奧座敷に怪事はなくなった。かの老猫も、再び帰ってこなかったという。 松山城下の人が物語ったことである。 |
あやしい古典文学 No.1882 |
座敷浪人の壺蔵 | あやしい古典の壺 |