平尾魯遷『谷の響』五之巻「怪獣」より

空翔ける獣

 安政二年の九月のこと。

 屋野沢中畑村の忠吉という者が、川漁に行って安門の沢を登っていくと、秋の日ははや暮れ近い。「今宵はここで夜を過ごそう」と、手ごろな木陰に身を横たえた。
 そのとき、空中に大鳥の翔けるような響きがあり、何かが傍らの樹の上に落ちてきて、そのまま形が見えなくなった。
 いぶかしく思って樹に登ってみると、二股になったところに直径一尺ほどの穴があった。中は大きな空洞のようだったから、とりあえず穴を木で塞いだ。
 木の根元にも小さな穴があったので、枯葉を集めて、その穴からしきりに燻し立てたところ、空洞の中を駆け回る音がしばらく続いて、次第に静まっていった。
 すでに日が暮れて、物の見分けもつかなくなったので、そのままにして、あくる朝、空洞に鉤を入れて、中のものを引き上げた。
 それは貉(むじな)ほどの大きさの獣で、すでに死んでいた。四足がたいそう短く、口先が尖り、尾が長く、いまだ見たこともない獣だった。持ち帰って村の年寄りに見せたが、誰ひとり名を知る者はなかった。

 最初の発見者の忠吉が、「怪しい獣だ」と皮を剥ぎ、弘前の町まで持ってきたのを、三ツ橋某が直接見たと話してくれた。
 世に「雷獣という獣がよく空を翔ける」というから、それであろうかと思われる。
あやしい古典文学 No.1883