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『談岌抜萃』下より |
迷い出る大文字屋 |
京都富小路六角あたりに、大文字屋何右衛門という、歴々の呉服商がいた。 何右衛門は、祇園新地の小づまという芸妓を、たびたび酒席に呼んで楽しく遊んでいたが、いつしか深い仲となり、いろいろ身辺の世話をして、いちだんと睦まじくなった。 しかるに何右衛門は、今年の春から、商売の都合でやむなく江戸へ下った。小づまは名残を惜しみ、病気になって寝込むほど朝夕想い暮らした。 そんな折、小づまの親方がいつしか病みついた。いろいろ養生した甲斐もなく、夏ごろに死ぬと、継ぐ者がなくて家は廃業した。 小づまは是非なく生まれ育った大阪の坂町に帰り、そのまま同地の芸妓になった。 やがて何右衛門は、江戸での要用を済ませ、京都に帰ってきて、小づまの身の上にあったことを知り、さっそく逢いに行った。 島之内畳屋町に大小屋喜兵衛という茶屋があって、以前から知っている店だったから、そこへ小づまを呼んで事情を聞くと、何右衛門はすぐさま喜兵衛に、 「小づまのこと、どうかよろしく。近々勤めを引かせて京都に呼び寄せ、面倒を見るつもりだから」 と頼んだ。もちろん喜兵衛は、諸事にわたって気配りしてやった。 今年八月二十八日の暮れ方、何右衛門が大小屋にやって来た。 店の者はそれぞれに出迎えて、 「よくおいでなさいました。待ちかねておりました」 などと言ってもてなし、ただちに小づまを呼びに人を走らせた。小づまはすぐにやって来て、近ごろの様子などを親しく語りあった。 そのあとは、いつものように歌い騒いだが、機嫌よく戯れながらも、何右衛門は時々激しく身震いした。 小づまをはじめ皆びっくりして、どうしたのかと尋ねるに、 「いやいや、持病の癪(しゃく)が起こってこんな具合だけれども、いつものことだから気にしなくてもよい」 と言う。とはいえ人々は心配し、近所の鍼医(はりい)を呼んで、鍼治療をすすめた。 しかし何右衛門は聞き入れず、 「わしは鍼がきらいだ」 と不興の様子なので、それはやめて、寝間の用意をして休ませた。 小づまとともに寝間に入ってからは、いつものようによもやまの話題で、夜もすがら語り合った。常と変わったところといえば、なにかにつけて小づまの身の上を心配し、落涙したりしたことだった。 明け方になって何右衛門は、 「わしは小便に行く。ついて来てくれ」 と言って、小づまを伴い寝間を出た。 小づまは雨戸を開けて、そのあたりに佇み、何右衛門は庭に下りて露地下駄をはいて行ったが、立ち止まって振り返ると、しばらく小づまを見つめていた。 「何をしておいでですか。はやく行ってお戻りなさいまし」 と声をかけると、うなずいて小便所に入った。 小づまは雨戸のところで待ってきた。しかし、待てども待てども戻らない。声をあげて名を呼んでも答えない。なにやら身の毛がよだち、あやしい予感もして、居ても立ってもいられなかった。 起き番の中居を呼んで、手燭を持って小便所を見たが、いなかった。雪隠のあたりのどこにも姿がないので、家じゅうの者を起こし、方々を探し回ったが、やっぱりいない。そのうち夜が明けた。 「これはきっと、何か気に入らぬことがあって、黙ってお帰りになったのではあるまいか」 などと皆が評定するのに対し、小づまは言った。 「いえいえ、いつもより機嫌がよく、色々の戯れまでなさって、そのうえ、いつになく私の行く末を気にかけ、涙をこぼしたりもなさいました。そんなことで、朝方前まで互いに一目もまどろみませんでしたが、法善寺の鐘が鳴ってのち、『小用に行くからおまえも来い』とおっしゃたから、ついて行って雨戸のところで待ちました。お帰りが遅いので声をかけましたが答えがなく、それで起き番を呼んだのです。それにしても、あの庭から外への出口はありません。何があったのでしょう。やっぱりどこかから出ていかれたのでしょうか。いずれにしても心配でなりませんから、早々に京都へ飛脚を遣って、様子を尋ねてくださいませ」 喜兵衛もそのままにしておけない気がして、 「いや、飛脚では心もとない。自分が行って、直接お目にかかって様子を尋ね、お供して戻ろう」 と言うと、小づまは、 「それは願ったりです。まだ京都の館にお帰りでなければ、お帰りを待ってぜひお目にかかり、連れだってお戻りください」 とくれぐれも頼んだ。 すぐに喜兵衛は京都に向かった。 道を急いでいったので、当日の午後四時ごろには富小路に着いて、さて大文字屋へ行ってみたら、表戸が閉ざされ、「忌中」の札が張られている。 喜兵衛は大いに驚き、近所に何事かと尋ねると、 「何右衛門さんは急病で、一昨日昼時に亡くなられたのです。昨日の夕刻前に葬送がありました」 とのこと。喜兵衛は胆を潰したけれども、とかく合点のいかない話ではあった。 『そうはいっても昨日、大阪のわが店においでになったのだから、なにかの間違いだろう』と思って、大文字屋の表戸を開けて尋ねたところ、何右衛門はたしかに死んだという。喜兵衛は呆れ果て、前日からその日の朝までのことを語った。大文字屋の者も大いに驚いたが、事実として死去したものはどうしようもない。 喜兵衛は急いで大阪へ帰り、見聞きしたことを小づまに語った。 小づまはふらふらと倒れ伏し、そのまま病みついた。今は瀕死の重態だという。 |
あやしい古典文学 No.1886 |
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