藤岡屋由蔵『藤岡屋日記』第九より

仙台領内猛獣の風聞

 仙台領宮城郡小川村の村役人よりの届け出によれば、天保四年五月十日夕刻、同村の木こり浅右衛門という者が、高嶋山の奧から戻る途中の白猿谷で、身の丈およそ三メートルで長髪色白の、人間の形をした猛獣に遭遇した。
 獣は手に人の腕らしきものを抱えたまま、浅右衛門を目がけて走ってきた。恐ろしさに身がすくみ、まさに進退窮まって、斧を振り上げたまま手を合わせ、常々信心している塩竃明神にひたすら祈ったが、獣が眼前に迫った後は気絶して、ようよう気がついたときには日がとっぷりと暮れていた。

 その後、板崎村の太右衛門の老母が死去したため、菩提寺の禅林寺へ葬送したところ、その夜、何ものかが死骸を持ち去ってしまった。これも同じ猛獣の仕業とおぼしかった。
 また、各所で新葬の死骸が失せ、それぞれ村里から訴えがあったので、山狩りをすることになった。
 郷役人たちが猟師二十人ほどを引き連れて山々谷々を捜索して回り、来迎谷というところで、当の猛獣を見つけた。
 ただちに鉄砲を撃ちあびせたが、少しも恐れる様子がなく、手で弾を受けてそのまま投げ返してくる始末。猟師たちは恐れおののき、もはや狙いも定まらない。
 猟師の手に余ると分かって、郷役人のうちの弓の上手が矢を放った。その矢が当たってかすり傷でも負ったのか、猛獣は慌てて逃げ去った。
 その形は、猿の大きなものに相違なかった。

 以後も、あちこちの村で、新葬の者や牛馬が失われることが続いた。
 そこで今度は、歩兵四組、弓組一組、鉄砲三組、二十匁砲、三十匁砲、計百人を動員し、山谷を昼夜兼行でしらみつぶしに狩った。
 しかし、いまだ捕らえることができないとのこと。
あやしい古典文学 No.1891