『本朝故事因縁集』巻之二「乙部氏為雷電」より

動雲大竜

 慶安年間のこと。
 出雲松江藩主 松平直政の家臣に、乙部九郎兵衛という者があった。
 乙部はあるとき、
「世の人は皆、後世の安楽を願って成仏することを望む。しかし、死後への望みが、祈願してかなうものかどうか。そこで我は、試みに、死んだら雷電となろうと思う。成仏したか否かは定かに分からないが、雷電なら目でも耳でも確かめられる。思いどおり雷となったならば、我が子孫は、安心して後世を願うがよい」
と言って、法名を『動雲大竜』と号した。
 臨終においても、最後まで天空に向かい、
「動雲、動雲……」
と唱えて死んだ。

 葬礼のとき、雷雨がにわかに起こって、雲を激動せしめた。
 その後も、三日、七日、三十五日、四十九日、百日目に、猛烈に雷電した。
 人々は大いに驚き、それならばと後世を願った。
 今にいたるも、動雲の命日には雷電があるので、その日は用事をしないことになっている。
あやしい古典文学 No.1903