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青葱堂冬圃『真佐喜のかつら』四より |
庄助・清八 |
文政のころ、深川に、河童庄助というあだ名の男がいた。 庄助は、夏場に川に入って泳ぎ、時を過ごすうちに、水中に潜ったまま浮き上がることなく呼吸できるようになった。これによって、人々から「河童」と呼ばれたのである。 しかし、ある年、武家方と揉め事を起こして、お上の咎めを受け、水辺を離れて山の手のほうへ住まいを移すことになった。 同じころ、赤坂あたりで足袋屋を営む清八という者がいて、たびたび富士山、大峰山、湯殿山、そのほかの高山に参詣した。 江戸から近いと言って、頻繁に武州高尾山に参籠すること、まるで自分の家にいるかのようだった。 江戸から高尾山まで十里あまりあるが、その道のりを四時間ほどで往復した。嘘じゃないかと疑う人には、必ず証拠の印を持ち帰った。高尾山でも「霊人」として扱っているとかで、種々奇妙な風説もあるが、いちいち記さない。 後には、何があったのか住居を転じ、さらにその後、外山の尾張藩下屋敷内に住まいを与えられたという。 筆者の師匠は清八と親しかった。ある夜、清八が来たので茶を入れ、後ろの戸棚から菓子を出そうと背を向けて、向き直ったら姿が失せていた。 師匠は驚きながらも、狐狸などの仕業であろうと思っていたところ、知り合いから、 「清八は、今夕病死した」 と言ってきた。いちだんと驚き、 「これこそ世に幽霊というものにちがいない」 と、その節、筆者に語ったものである。 |
あやしい古典文学 No.1910 |
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