『本朝故事因縁集』巻之一「林氏強運」より

強運の人

 林五郎通元は、かつて伊予を支配した豪族 河野氏の子孫である。

 天正五年三月、二十六歳の通元は秋鹿狩りに行った。
 切り立った岩山を越えようとしたとき、鹿が走ってきたので、生け捕ろうと取っ組んだが、鹿とともに岩上から転げ落ちた。通元は、十余間落下したところで松の枝に引っかかり、同行の狩人が大綱を下ろして引き上げた。鹿は留まらず、はるかに落下して微塵になった。
 これが強運の最初である。

 同年八月、深山を通ったとき、甚だしい大雨・大風に見舞われ、大木の陰に避難した。ちょうどそのとき、大きな山崩れが起こって、土砂は通元もろとも谷を埋めた。
 それから五日後、また大雨が降り、洪水となって、土砂を押し流した。通元はその濁流とともに流れて、ひょっこり平地に現れ出た。土中の五日間はとりとめのない夢を見ていたかのようで、その命に別状はなかった。

 翌天正六年の春、讃岐の香西合戦で先頭に立って戦ったが、味方の軍は敗れた。
 兵がてんでに逃げ去るなか、通元は最後まで踏みとどまって交戦した。結局、味方数百人が討死にしたのに、通元は敵一騎を討ち取って、運よく帰還した。

 文禄元年には、朝鮮の全羅道の城攻めに加わって、城中に深く入った。
 そのとき前門に火がついて燃え広がり、敵味方の別なく焼死して、通元も絶体絶命だった。背後は垂直に切り立った崖で、数十メートル下は大河が流れ落ちる滝だ。
 通元は、藁二把に乗って滝に飛び込み、大河に流されて危地を脱した。
あやしい古典文学 No.1919