鈴木桃野『反古のうらがき』巻之一「訛言」より

流言飛語

 文政の中頃、さる屋敷から病人を釣台に乗せて運び出したことがあった。
 その後、何者が言い出したのか、「ここらに、死人を釣台に乗せて人気のない所に捨てる者がある。誰もみな用心せよ」との噂が立った。市谷柳町あたりから始まって、江戸じゅうに広まり、本所・浜町・麻布・青山あたりまで、屋敷ごとに番人を出し、高張提灯をともして警備する騒ぎとなったが、二三日しておさまったという。

 その一、二年後のことである。
 秋の末ごろ、月のことさら明るい夜に、筆者は門外に出て、弟と月をめでていた。
 およそ十時ごろだったろうか、道の向こうから大声で話しながら来る者があった。「音羽」と書かれた提灯をともした、鳶の者の風体の二人連れだった。
「世の中には残忍な人もあるものだ。あの女の首は、どこで切ったんだろう」
「前垂れに包んでいたから、卑しい者の妻かなんかだろうな」
「切ったのは、きっと夫だ。間男でもいて、もめたにちがいない」
「さっきは捨てようとして咎められ、また持って去ったが、いずれどこぞへ捨てるつもりだぞ」
「迷惑なやつだな」
「……」
 筆者は、二人を呼び止めて尋ねた。
「今言っていたのは、どこの話か」
「おや、まだご存じありませんか。ここから遠くない市ヶ谷焼餅坂上ですよ。夜更けに門外に立っておられるのは、定めし捨て首の警戒かと思いましたが…。ここから先は、家々みな門外に出て番をしておりますよ」
 そう言って、二人は去って行った。
 筆者も驚いて、前の辻番所にその旨を告げ、よく番をするよう言って、家に入って寝に就いた。しかし、どうも気になって仕方ないし、辻番所で声高に捨て首の話をするのが聞こえてきて眠られず、また門の外へ出てみた。もう真夜中の一時の拍子木を打つときだった。
 番所の者らが話すのを聞くと、
「組合から申しつけられたことゆえ、寝るわけにはいかないが、いつ終わる番とも分からない。もし油断して捨て首があったら、申し訳の立たないことになる。どうしたものか」
などと言っている。
 筆者も、いつまでも続けるのは如何かと思い、
「もうだいぶ時も経つ。捨て首があったらあったで仕方ない。もう休むがよい」
と申し渡して、家に入った。
 翌日、近辺の話を聞くに、捨て首の沙汰など全くなかった。それで『おのれ、騙された』と口惜しがって、一件は終わった。

 この流言は、小石川・巣鴨・本郷から、浅草・千住・王子など北の方へ広がった。どこらまでかは定かでないが、大いに驚き騒いだものらしい。
 筆者は流言を広めた張本人と思われる二人組から直接聞いたけれども、辻番のほかには誰にも話さなかったから、近辺ではかえって知る人がなかった。
あやしい古典文学 No.1924