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『大和怪異記』巻二「日田永季出雲小冠者と相撲の事」より |
日田鬼太夫 |
豊後国日田郡に、大蔵永季(おおくらながすえ)、人呼んで日田鬼太夫という者がいた。 剛力で名高く、延久三年、十六歳にして、宮中で催される相撲の節会に召されて上洛することになった。 そのとき、出雲国からも稀代の剛力が召されたと風の噂に聞いたので、永季は諸々の神社に詣で、ひたすら勝利を祈願した。 上洛の途次、筑前の大宰府で、永季は一人の童女に声をかけられた。 「おまえは都の皇居の庭で、出雲の小冠者というとんでもない大力と闘うことになるぞ。そいつは背こそ人より低いが、体じゅうが鉄で、力は計り知れないのだ。これに勝つことは人力では叶わないほどだが、たった一つ弱点がある。そいつの母親は、懐妊するやいなや砂鉄ばかりをモリモリ食ったから、生まれた子の総身が鉄になった。しかし、一度だけうっかり甜瓜(まくわうり)を食ってしまい、それが子の頭上にとどまって、三寸四方の柔肉になっている。相撲の節会で対戦するときには、西北の方を見るがよい。わたしが攻め方を教えてやる」 言い終わると、童女は飛び去った。 永季は、この不思議に驚き、その足で太宰府天満宮に詣でると、心を込めて奉幣するとともに、日田郡内の大肥庄を寄進し、その地に老松明神を勧請すると誓った。 京都にいたり、相撲の節会に臨んで、いよいよ鉄身の小冠者との試合が始まった。 永季が西北の方を見やると、かの童女が空中に浮かんで、自分の額を右手で押さえて合図を送っている。 なるほどそうかと思って、小冠者の額を拳で力いっぱい撃つと、そこは人肉だったからびしっと裂けて、血潮が顔じゅうに流れた。 さしもの小冠者も、少し怯んでよろめいた。そこを掻き掴んで引き寄せ、目よりも高く差し上げて、ひと振り反動をつけてから大地に叩きつけた。鉄身は、頭も手足もばらばらに千切れて四方に散らばった。 永季は、「日本第一の大力」との天皇の称賛を賜って帰国すると、かねて誓ったとおり大肥庄に老松明神を勧請した。また、自分が小冠者を踏まえた等身大の像を造り置き、その場所に永福伝寺という寺を建てた。 その後、永季は相撲の節会に十度出て、一度も負けることがなかった。 |
あやしい古典文学 No.1930 |
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