鈴木桃野『反古のうらがき』巻之二「狐」より

犬をたぶらかす狐

 祭酒快烈公、すなわち林述斎は、林家中興の儒学者で、物事にこだわらない大らかな人柄であった。別荘をあちこちに持っていて、季節季節の好日に行くのを楽しみとしていた。

 その日も祭酒公は、海辺の別荘で夏の暑さを凌ごうと、早朝に起きて出かけ、蓮の花盛りなのを愛でつつ、終日遊び暮らした。
 別荘を守る老人が一匹の黒犬を飼っていたが、その日は老人のもとへ戻らず、従者どもが弁当を開く樹の茂みの下にばかりいた。従者どもが思い思いに食い物を与えるから、そのたびあちらへ、またこちらへとうろつき回ったが、しまいには狂ったようになって、物を食うことさえせず、ひた走りに走った。
 祭酒公は変だと思い、縁側の端まで出て、よくよく様子を見た。
 ものに憑かれたかのようだが、走って往復する東西には何もない。しかし、蓮池の向こうの築山の上に狐の姿がある。さらに細心に見ると、その狐が顎を東に向ければ犬が東に走り、西に向ければ西に走るのだった。
 これは珍しいことだと思って見ているうちに、犬は走り疲れて、倒れ伏した。しばらくして築山の狐は、恐れる気色もなく、従者が投げ捨てた食物を飽くまで食って、走り去った。犬はようやく身を起こしたが、呆然として座りこんだままだった。

 日が暮れて、祭酒公は屋敷へ戻り、知る人ごとに目撃したことを話した。信じる人がいたいっぽうで、疑う人も多かった。そこで後日、また同じ別荘へ行って前と同様に食物を与えると、やはり犬は狂い走った。
 これに自信を得て、今度は先に疑った人を連れて行って見せた。
 その日は狐も大いに食に飽きて、築山の下に出て眠りはじめた。祭酒公は酒興のあまりか、『あの狐を殺してやろう。今日の酒の肴に、これ以上のものはない』と思って、小筒の鉄砲で狙って撃った。
 もとより慣れないことだから、射撃はいたって拙くて撃ち殺すことなどできず、狐の耳の先を少しばかり撃ち抜いた。狐は驚いて高く鳴き叫びながら、築山の陰に逃げ入った。祭酒公も冗談半分だったので、それきり笑ってすました。
 さて、日も傾いてきたので、従者どもを呼び集めたところ、召使の小娘が一人足らない。あちこち見てまわったがおらず、別荘じゅう残りなく捜して疲れ果てたときに、築山の陰のススキが生い茂った中で、前後も知らず眠り伏しているのが見つかった。
 「これはさっきの狐の仕業にちがいない」と恐れる人が多かったので、祭酒公は大いに怒って、その辺りをくまなく調べまわると、はたして狐の穴があった。
 穴の内は広くなってみるように見えたが、暗くてほとんど見えない。日も暮れてしまってなすすべもなく、大小の鉄砲を滅法やたらに穴に撃ち込んで、屋敷に帰った。
 その弾に当たって死んだか、または銃撃の激しさに恐れて何処かへ逃げ去ったか、その後は狐が出ることはなく、また、祟りをなすこともなかったそうだ。

 『狐は常に、犬に逢うと持ち前の術も失せて、そのため食い殺されてしまう』というのは昔の話であり、不意に遭遇した場合だけのことだ。
 我が身を十分に隠して恐れる必要がないときは、どうして術を用いないことがあろうか。まして食物を目の前にしては、犬といえどもそれに心を奪われて狐のことなど念頭にない。いっぽう狐は、食物を奪う手だてがないとわかれば、まず犬をたぶらかし、そのあと手に入れようと策をめぐらすのだ。
 昔を信じて今を疑うのは、必ずしも適切でない。本所・下谷の蚊は蚊帳の目をうがち、荒い布の夜着は小さな蚤が潜り入る。昔はなかったことだが、今は珍しくない。もちろん、品質が昔に劣って蚊帳の目も布も荒くなったともいえるから、蚊や蚤に知恵がついたとは決めつけがたいけれども。
 ともあれ、犬も愚かであれば狐にたぶらかされるということは、疑いようのないことではあるまいか。
あやしい古典文学 No.1932