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森春樹『蓬生譚』より |
河童の害 |
河童はさまざまな害をなす。 我が郡に在住の婆は、昼間に洗い物をしようと川端に出て、ついでに川水に小便をした。小便が河童の頭にかかり、目に入って痛かったので、怒って婆に仕返しした。 また、子供が草刈りに行って、谷川のほとりや草むらの中で鎌を使ったとき、昼寝している河童の横腹に刃先が当たった。河童は鉄気を忌むので痛むこと限りなく、憤って子供を苦しめた。 何気なく投げた小石が河童に当たったといったことも、きっかけになる。 水辺の家の女に魅入り、通じて悩ましたりもする。河童の子を孕むこともよくあって、出産する子は、蟇蛙の子に似て、それよりやや短く黒いものらしい。 そうした例は年ごとに多数あるのだが、隠して語らないので、聞くことは少ない。人妻に通じるのは稀なのか、まだ聞いたことがなく、耳にしたことがあるのは、娘・下女のたぐいの話だ。 河童が女に通じようと思いながら、叶わないこともある。そのときは腹いせに、その家に怪をなす。 当所日田に近い大川筋に、渡し場が四カ所ある。もっとも上にあるのが「垂水の渡し」といって、官道の渡しである。 ほかは地元の道の渡し場だが、これらのほうがかえって人の往来が多い。「垂水の渡し」の下が「銭淵上の渡し」、その次が「銭淵下の渡し」、その次が「庄手の渡し」という。この四つのうち「銭淵上の渡し」と「庄手の渡し」で、昔から河童が人を害することが多い。 「銭淵上の渡し」の船は、「独り渡り」をすることがある。日照りが続くときによくあり、筆者も見たことがある。 まず船は、向こう岸であれこちら側であれ岸からひとりでに離れるが、最初は人の目に見えるか見えないかぐらいに動き、やがて一二間離れ、三四間になったころに、向きを対岸に変える。人が船を操るときときと同じように静かに向きを変えると、下流に流れることなく真一文字に対岸の船着き場へ向かう。早からず遅からず、人が櫓を漕いで行くさまに異ならない。 しかし対岸に着く直前、船は人が係留せずに乗り捨てたときのように、川水に流されていく。このとき近くに人がいなければどこまででも流れるのだが、多くの場合誰かが見つけて取り押さえる。 また、船が独り渡りする途中、岸を離れてすぐでも川の半ばまで来たときでも、誰かが見つけて「船が流れる」とか「独り渡りしている」とか声を立てれば、その時点で独り渡りは終わり、船は流される。 重ねて言うが、これは「銭淵上の渡し」の船に限ってのことだ。 「銭淵上の渡し」で怪死した人は、この三十年で三人ばかり。みな旅人である。地元の人が二人一緒に死んだこともあるが、これはあくまで事故で、寒中の夜に渡りかけて船が覆り、溺死したのだ。旅人三人は河童のせいである。 「庄手の渡し」では、三十年で五六人死んだ。身投げして死んだ者もあるが、おおむね河童の害である。 四つの渡しのうち二つは、このように危ない。他の二つは安全だ。 「人の死んだ場所では、その後も死ぬ人が続くものだ」と昔の人の言葉にあるが、本当のことだ。 |
あやしい古典文学 No.1934 |
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