細川宗春(撰)山川素石(増補)『二川随筆』巻一より

前兆の鉈

 神田清左衛門は、蒲生氏郷とその嫡男秀行に仕えて一万石を領し、後に加藤清正と忠広に仕えて五千石を領した。加藤家が断絶すると、阿波の蜂須賀家へ行って三千石を給された。

 清左衛門が加藤家の臣であった寛永八年に、不思議なことがあった。
 熊本藩の領内で、桐の木に冬瓜のような大きな果実がたくさん生じた。
「これは珍しい。この先どうなるか、熟するのを見よう」
と、そのままにしておいたところ、内から実を喰い破って、鼠が出てきた。これは不思議だと実をとって切り割ってみると、さらに多くの鼠が出た。
 鼠はみな打ち殺して捨てたが、ある実の中には鉈(なた)が一丁入っていて、これは不思議なうえにも不思議なことだった。
 翌寛永九年六月、加藤忠広と嫡子光政が配流に処せられ、加藤家は断絶した。後に思えば、桐の木の怪しい果実は、その前兆だったのだろう。

 かの鉈は今も所持していると、清左衛門本人が語った。
あやしい古典文学 No.1939