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| 細川宗春(撰)山川素石(増補)『二川随筆』巻一より |
戦場の話 |
| 筆者が十四五歳のころ、毛利安右衛門という浪人が存生だった。 この人は大阪の陣のとき、大阪城に籠城し、長曽我部盛親の配下で働いた古武士で、戦場のことを語るにあたっては、大げさに飾ることをせず、実事を淡々と話した。 「今の人は、『もし戦場に出れば手柄を挙げ、まちがっても他人にひけは取るまい』などと思うだろうが、実際の戦場は、太平の世に畳の上で考えるのとは全然違うものだ。すなわち、緊迫した時を過ごすなかで心が疲れ果て、夜もすがら霜露に濡れて安らかに眠ることもできない。攻め手は竹を束ねた盾の陰で夜を明かし、城内の者は昼夜を問わず油断なく守って、食事もわずかに飢えをしのぐだけ。随分ひどい気分のものだ。 いつの世でも、ときに人は喧嘩する。互いに怒りをぶつけ合って、命を落とすこともあるだろう。しかし、合戦に怒りはない。ただ主君への忠義として、命がけで働くだけだ。そのうえ、城中でも攻め手でも、あらぬ風説が流行る。『だれそれは逆心を抱いて敵に内通している』といった危ない話が毎日さまざまに語られて、人の心を動揺させる。太平に考えるのとは違って堪えがたい有様だから、もはや十人のうち九人までが『手柄を立てて立身しよう』などという気はなく、『もしこの戦を生き延びたら、武士をやめて、荷を担いで商いをするか、百姓になって畑の土を掘り返してでも、一生を平穏に送りたいものだ」と、うんざりしながら思うのだ。 さて、敵と衝突し、互いに槍を合わせるときは、土煙が立って凄まじいものである。一命を捨てての合戦だから、人の心は朧月夜に夢路を行くようで、ものの見分けもつかない。場数を踏んで武功も立てている人なら、多少落ち着いてその場の見通しもききそうなものだが、『何度合戦に臨んでも、朧月夜のようなのは同じだ』と、経験豊富な武士が語るのを聞いた。 じっさい、我らは鴫野堤の合戦で、堤の下で皆々槍を伏せ、立膝で低く身構えていると、藤堂高虎殿の軍勢が寄せてきた。だんだんと太鼓の音が近づくが、大将長曽我部盛親は『指図するまで必ず静まり返って待て』と、馬を乗り返し乗り返し下知して回る。そのとき、にわかにわなわなと身震いがして止まらない。『これはどうしたことだ』と思って周囲を見ると、だれもかれもが震えわなないているではないか。 いよいよ間近になって、さあ槍合わせという瞬間、震えはぴたりと止まった。ここにおいて藤堂勢の先陣は一挙に突き崩され、歴々の侍たちが討死したのだった」 毛利安右衛門は、こうも語った。 「戦場で討死したといえば、ただ戦って命を落としたばかり思うけれども、そうではない。気絶しているうちに首をかかれる、負傷して動けないところを押し伏せられて首を取られる、長柄の槍で一方的に叩き殺され、あるいは転んで踏み殺されるなど、さまざまな死にようがある。『討死』とさえ言えば、互いに堂々の勝負をして死んだと思うのは、あさはかなことだ」と。 |
| あやしい古典文学 No.1940 |
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