木村蒹葭堂『蒹葭堂雑録』巻之二「食火鶏」より

食火鶏

 「食火鶏(ひくいどり)」は、別名「馳蹄鶏」「骨託禽」、オランダ語で「カスワル」という。また、俗に「駝鳥」ともいう。しかし「食火鶏」と「駝鳥」は別の種だ。

 寛政元年七月、食火鶏はオランダ船に載せられて長崎に来て、翌二年五月より大坂で見世物に出た。西南の天竺で産する奇鳥であって、普段は米麦を食い、気力溢れるときは鉄石・瓦・火炭などを食って、そのまま糞に出す。
 もっとも、これは鳥であって鳥ではないといえる。
 大小便を出す穴は二つある。鳴き声は地に響き雷のごとく、聞く者の身の毛がすべて逆立ってしまうほどの恐ろしさだ。後ろ姿はおおよそ土佐馬のようで、体重が七十キロ近くあり、一日に握り飯一升五合あまりを食うという。

 『本草綱目』に諸書の説が載っているが、それは上記と違う内容である。
「雁の体形で駱駝の蹄を持ち、蒼い色をしている。頭をもたげれば高さ二メートル以上、羽を広げれば三メートル強。大麦を食い、あるいは鉄石・火炭を食う。足には指二本と蹴爪があり、よく人を傷つけて死に至らしめる。一日に七百里を行くが、高く飛ぶことはできない。卵の大きさは甕ほどもある。波斯(ハルシャ)、三仏斎(サフサイ)、安息(アンソク)など、西南天竺に産する鳥である」

 『和漢三才図会』には、次のようにある。
「おそらくオランダ人は、ジャガタラ国の火鶏を連れてきた。彼らはそれを『カズワル』と呼んだ。しばらく肥前長崎で飼っていたかもしれない。形は鶏に似ているが、背たけが一メートルほどある。よく燃え木や小石を食い、糞は炭あるいは石だ。人が近くにいるとやって来て、つつこうとする」

 『万国新話』によれば、次のようである。
「食火鶏はバンダに産し、名を『エメウ』という。大きさは白鳥ぐらいで、舌がなく、翼がなく、羽毛は黒い。頭の上に、鼈の甲羅のような硬質の冠(とさか)がある。爪が鋭く、物に触れれば後ろへ蹴るさまは馬が跳ねるのに似ている。赤く熾った炭であれ磁器の欠けたのであれ、投げ与えれば躊躇なく食う。食火鶏すなわち『エメウ』とはこんな鳥なのだが、人はややもすれば、これを駝鳥と取り違えている」

 というわけで、寛政元年に日本に渡ってきたのは食火鶏であって、駝鳥ではなかったのだ。
あやしい古典文学 No.1954