藤岡屋由蔵『藤岡屋日記』第七十二より

山門の猛獣

 安政六年のこと。
 金龍山浅草寺山門の修復につき、東叡山御役所が出入りの大工棟梁をはじめとする諸方の棟梁たちへ入札を求めたところ、高札は千九百五両、安札は九百五十両、中札は千五百両余と千四百両余であった。
 高札・安札の中値にもっとも近い中札に落とす慣例により、西川若狭が千四百五両で落札。冥加金として二百両を減じ、千二百五両で受注して、さっそく普請に取りかかる次第となった。
 この若狭は、神田松下町三丁目北側代地の大工常次郎という者である。東叡山出入り棟梁三人のうちの一人で、拝領地などもある。

 さて、山門修復に取りかかり、屋根瓦など取り除けて積んで置いたところ、箱棟がひどく朽ちていたため、六月十五日午後二時ごろ、南からの雨まじりの強風に箱棟が吹き落された。
 そのとき、箱棟の中に数年来棲んでいた三尺四方ほどの猛獣が鳴き騒ぎ、黒雲に乗って飛行したという。
 大工どもが震動に驚き、地震だと思って足場へ駆け出した上に箱棟が落ちて、大工藤八が即死した。ほかに三人が大怪我して、高名の整骨医 名倉素朴のもとで治療した。

 猛獣は野衾(のぶすま)で、飛び去った跡には、餌食にしたらしい鳩の骨が四斗樽に三つほどあったそうだ。
 近くに住む古い鳶の者が語った。
「二十年ほど前の山門修復の節にもこの怪獣が飛び出し、そのときは五重塔へ飛び込んで、しばらく棲み処にしていたが、このたびは奥山のほうへ飛んで行った。三尺四方ばかりの野衾で、猫のような顔をしているのを、確かに見た」と。
あやしい古典文学 No.1971